海外に住む娘として、父の最期に向き合った日々

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海外に住む娘として父の最期に向き合った日々 生活

先日、父が84歳で静かに旅立ちました。

「いつかこういう日が来る」と頭では分かっていましたが、なんだか突然やってきて、突然過ぎ去ってしまった感じがしています。

海外に住んでいると気軽に親に会いに行けない訳で…いや、飛行機に乗ればすぐに行けるのに会いに行かない選択をした部分がありました。

今回は父の最期にいろいろと揺れた気持ちを残しておきたいと思い書きました。

お付き合いして下さる方がいたら嬉しいです。

この記事を書いた人
モカちーの

Ciao ♡ はじめまして
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・2015年からイタリア(サルデーニャ島)在住
・猫好き&お料理好き&海好き

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あまりうまく行っていなかった両親との関係

私の父はとても厳しい人で、小さい頃は怖くてあまり好きではなかったけれど、晩年は穏やかに優しくなって大好きでした。

が、母とは元々気が合わないと言いますか接するたびにモヤモヤを感じる関係です。

私は22歳で家を出てから実家に戻ることは無く別々に暮らしていましたし、何かあった時ぐらいしか連絡を取らない関係でした。

海外に移住して物理的にも遠くなり、近寄らない関係だったからこそ良い関係を保ってきたけれど、4年ほど前から母が精神的に具合が悪くなり、そのことで連絡頻度が増え、両親とあまりうまく行かなくなりました。

辛い、死にたいを繰り返しグルグルしている母…。

辛そうで、可哀想だからなんとかしてあげたくなる家族。

けれど、他の人の話しは聞き入れれず、「そうじゃない、健康な人に私の気持はわからない」と突っぱねる頑固でプライドが高い母。

朝から死にたいを繰り返す母に「朝から怒ってばかりでもう限界だ!助けてくれ」と1度だけ父から助けを求められたこともありました。

母は具合が悪いとはいえ、散歩に行けばズンズン歩けるし、旅行も行けるし、カラオケに連れて行けば3時間ほぼ1人で歌っちゃうし、味がしない食欲がないと言いながら良く食べてるし、お酒まで飲めちゃうんです。

ツッコミどころ満載で…(笑)

だから辛いほうばかり考えないで、楽しい事に目をむけたら?何か自発的にやってみるとか、など正論をつい言ってしまう私が居て…。

彼女が求めてるのは正論ではない、ただ、気持ちを「そうなんだね…辛いね…」と聞いてあげることができない、自分への情けなさ。(いや、最初は聞いていましたよ、だけど、3年間同じ話繰り返されたら流石に聞けない!笑)

何度も怒鳴り合いの喧嘩もしたし、もうそのたびに自己嫌悪になりました。

ありのままに母を見てあげれない自分に対して嫌気がさしていたところ、今度は父が前立腺がんと診断を受けたとの知らせがありました。

父は腰が痛くて外も歩けなくなってて5キロも痩せ、頻尿に苦しんでいるという状態で、抗がん剤治療をする、と言っていたので、心配になり「抗がん剤ではなく、痛みをコントロールするケアにした方がいいのでは?」ということを伝えたところ、私が意見したことが気に食わなかったのか、

「お前の言うことなんて何も正しくない!これからは病院の先生のいうことを良く聞いて癌と戦うから余計なことを言って欲しくない」

と返信が来ました。

大好きな父なだけに、その言葉はかなり堪えました。

父や母に伝えたい事は、いつも「笑って欲しい」「元気でいて欲しい」ってことなのに…いつも裏返って伝わっちゃう。

温かく繋がりたくても繋がれない。

自分責めが酷くなり両親との交流を絶つことに決めました。

この時は「もう一生親に会わなくても良い」ぐらいに感じて苦しくなっていたんですが、やはりそれは素直な自分の気持ちではないのはわかるし、なので、連絡を絶ったところで悶々としていました。

その時に本をたくさん読みました。その中で良かった2冊を紹介しておきますね。

家庭環境は一見普通、むしろ自由なく育ててもらったのにモヤモヤする人はオススメです。

久しぶりの連絡で父が余命1ヶ月から半年と知る

一切連絡を取らずモンモンと過ごしていた10月の終わり、父が2週間前から入院してると母からLINEが届きました。

父は定年後、家事全般をこなしていたのですが、その日まで洗濯物を干したりしていたそう。

けれどトイレに行った後に転んで、そのまま全く腰が立たない状態になったので救急車を呼んだそうなんです。

そのとき腎盂炎を起こしていて39度ぐらい熱があったんです。

家事はしていたとはいえ、極度の頻尿が続いていたし寝てても5回とかトイレに起き、日中もトイレにいってばかりで食欲も無かったそう。

余命は1ヶ月から半年とお医者さんから告げられたとのことでした。

それを聞いた瞬間、私はすぐにチケットを手配して会いに行くことを決めました。

連絡を絶っていた罪悪感と、母と上手く接する事ができるのか不安はあったけど、でもただただ父に会いたくて。

連絡を絶つ前、父からの言葉は深く悲しかったけれど、それは父が大好きであるからこそ。

言葉では厳しいことを言ったとしても、その奥に感じられる愛がある父だから本当に大好きだったんです。

☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆

海外在住だと、チケット代のことも気になる部分ですよね。

ちなみに、この時、突然購入したチケットはめちゃめちゃ高かったです。

やっぱり直近だとこうなるのか~と思いましたが、このあともう1度突然日本へ行こうかと考えチケットの値段を調べた時ががあったんです。

その時は2日後のチケットでもそんなに高くなかったので、直近だから高いのではなく時期やタイミングによるのかもしれません。

チケットは状況に応じて追加料金なして変更可能なタイプを選び、とりあえず10日間の滞在にしました。

父と過ごした10日間と母への葛藤

空港から病院へ直行して久しぶりに父に会いました。

この時に会ったのは1年半ぶりで、その期間ビデオコールも1回もしていないし写真も一切送らなかったので、久しぶりに顔を見た形になりました。

父は余命1ヶ月はありえんでしょ!というぐらい元気な姿で、ご飯もモリモリたべて、バナナやゼリー、アイスなども食べて元気でした。

入院したときの腎盂炎による熱が下がったのと、数日前弟もお見舞いに来て、私とも会えたことで元気が出た部分もあったと思います。

立ったり歩くことは出来ませんが、いつも前向きな父らしく車いすにのりたい、リハビリをして歩けるようになりたいと意欲も旺盛で嬉しかったです。

私は美容師をやっていて、寝たきりの人のカットの経験もあるので父の髪を切ってあげる事も出来ました。

父は家にいたとき、パソコンでよく将棋をやっていたのでパソコンを持ってきてあげて将棋をやったりハーモニカをふいてみたり、歌を歌ってもらったり…とても素敵な時を過ごせたんです。

☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆

だけど、そこにはいつも母への文句があって…。(笑)

母の父への態度が酷すぎて、見ていてイライラしっぱなし。

例えば、父はおしっこは尿道カテーテルを入れていてウンチはオムツの中にする状態だったんですが、「ウンチが出た気がするから看護師さんに見て欲しいから呼んで」と母に頼むと、「さっきも言ったばかりだし、我慢しなよ!看護師さんに悪いし、嫌がられるよ」とか言うんです。

何か要求を言うと「いいよ!そんなこと!」って退けるし、父を見つめる目線がもう冷たいんです。

ご飯の補助もスプーンを口にいれるやり方が雑すぎるし、電動ベッドを起こしたり寝せたりするのも雑だし。

さらに、自分の身体が辛い話や死にたい、ということを病院で寝ている父に言ってるし‥‥。

あああ…母への文句が際限なく続いてしまうのでやめます。(笑)

まあ、母の立場で見るならば、彼女は自分のことでいっぱいいっぱいなんですよね。

だから辛い気持ちを解って欲しくて漏れてしまう。

けど、優しく接すると、別に!って感じで突っぱねてくる可愛くない態度にムカついちゃうんです。(笑)

☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆

そんな感じで10日間の滞在を終え、父と最後の日、手を握ってお互い泣きました。

父は「頑張ってよ!」と私に言ったあと、「もう、別れよう」と泣きながら言ったのが胸に強く残っています。

また来るからね!と言いましたが、この世で会うのは最後かもしれない…と覚悟しましたし、実際父に会うのはこれが最後となりました。

ビデオコールで父と交流

イタリアに戻ったあとはビデオコールで繋いでもらい父と交流することが出来ました。

ただ、私が会いに行った時は個室に入っていたのですが、そのあと4人部屋に移ったんです。

4人部屋は電話禁止だったので、車いすに乗れていたころは談話室に移動して話すことが出来ましたが、車いすに乗れなくなってからは室内では会話が出来ないので1分ほど顔を見てお互い手を振るぐらいに留まっていました。

4人部屋は他の人の話が筒抜けで聞こえてくるらしく、母や弟がお見舞いに行ったときも個室の時よりは話がしずらい状況だったので父も辛かったんじゃないかな…と感じています。

やはり個室が良いですよね。だけど、追加の料金が高すぎる現実がありますね。

☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆

あと、父は以前から耳は遠かったのですが、「耳がだんだん悪くなって誰と話しても相手にされないようだ。おまえとビデオをしても聞き取れないからいい加減なことばかりいってゴメンね。聞こえない悔しさをわかってくれ」と言われ、せつなくなりました。

それで、何か良いモノが無いかな、と探していて下のリンク先の集音器を買って送ったんです。(楽天で買いました)

レビューも良かったし日本製。価格もお手頃だったので、ダメ元でと思いましたが大正解でした!

私とのビデオコールもスムーズに出来るようになりましたし、病院の先生や看護師さんとの会話も楽になったみたいで病院内でも話題になったそうです。

良く聞こえるよ!と笑顔になった父の顔が見れ、嬉しかったです。

病院の先生に真似して買いたいから品番を教えて欲しいと言われたこともあったそうなので、オススメしておきますね。

父にもう一度会いに行きたい!どうしよう

私が会いに行ったのが11月、ビデオコールやLINEメッセージでやりとりをした12月と1月。

ですが、1月の中旬から食欲がなくなりはじめ、食べても吐いてしまうという日がでてきました。

そこで、「お父さんに会いたいから、日本へいこうかな」ってLINEメッセージで伝えたんですね、このころは、病院から施設へ引っ越しをする計画があったのですが、「オレから来るなとは言えないから自分でよく考えて決めてね、それに引っ越しもあるから来るなら落ち着くまで少し待っててね」との返事が来ました。

ちなみに、母にもお父さんに会いに行こうかな、と言ったら「ヤダ!来ないで!アンタが来るとまた喧嘩になるから来ないで!」と言われまして…。(笑)

また母の文句になったちゃうけど、いよいよ具合が悪くなってきて死にゆく父に会いたい娘の気持ちとか、お父さんも会いたいだろうな、とか考えられないのかよ!てイラつきましたよ。

けど、それほど自分を守っているんだなぁ…母も辛いね、と思いました。

☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆

このあと、どんどん体調は悪い方向へ。やっぱり食べれなくなるとそうなりますね…。

だから、もう一度父に会いに行くなら今だ!と思いました。

だけど、来ないで!と言う母。(笑)

まあ母のいうとおり、11月に父に会いに行ったときも結構怒鳴り合いの喧嘩になったりしたんです。

だから、ハッキリ言って私も母には会いたくない。

父に会いに行くと言うことは母とも時間を過ごすことになるので、嫌だなと思ったのですが、ここで会いに行かなかったら父にこの世では2度と会えなくなると思い、会いに行こう!と思いました。

父に会いにもう1度日本へ行きたい、と夫に話したけど…

そこで、夫に父の容態が悪いし会いに行きたいということを話したんですね、

ところが…

初めは「もちろんだよ!」といって彼もチケットをチェックしてくれたりしたんです。

が!

その日が金曜だったから、日曜のフライトで行きたいと思って話を進めていたら夫がなんだかお怒りモードになってきて、「なんで11月に行ってからイタリアに戻ってきたんだよ!そのままいればよかったのに!」とか、普段の私のやっていることにケチをつけ始め、自分は日々色々と苦労をしているがそれに比べてオマエは何もしていない!ということを怒鳴り始めたんです。

彼が怒りのスイッチに火が入ると、いつも同じパターンで同じストーリーがはじまるんです。

要は自分は人の助けばかりしていて自分の好きなように生きれていない、というストーリーなんですが、父が亡くなりそうだから会いに行きたいって時にコレ始まるかぁ~…と思いましたが、必死に怒りまくってる彼の話を冷静に聞いてたら(まあ、まあいつも同じストーリーだから聞き流していたら)クスッと可笑しくなっちゃったんです。

普段から夫は見捨てられ不安みたいな要素を持っていると彼の言動から感じていますが、まさにそれが発動していて要は行ってほしくないんだなって思って。

このとても大切な父の死を前にして、私の気持ちに寄り添うのではなく、自分の不安が爆発しちゃった典型的な不安型依存の反応だわ!と思いました。(笑)

普通、そんな男イヤ…と思うかもしれないけど、私はなんか可愛いなってこのとき思っちゃったんです。

怒りって2次感情なわけで、その下にある不安・寂しさ・依存・恐怖などが出てきたんだと思います。

こういうのって自分にもある部分で、私は母にそれをこじらせていると思うし、夫の色んな反応から自分の中を見ることができるのです。

だからその解って欲しい気持ちってすごくわかるし愛おしく感じるんです。

夫との関係はまた別記事で書いてみたいと思いますが、まあ14歳年下のイタリア(マザコン)男性と結婚したからしゃーない!(笑)

それで、一通り夫が怒りまくったあと、「で、どうすんの?怒」って聞いてきたので、

「決めた!行かないよ」

と言いました。

なんか、夫の気持ち、母の気持ち、自分の気持ちや体調のこと、そして父の気持ち、色んなことを考えて行こうか行くまいか悩んだけれど、この時スッキリと行かない!って決めれたんです。

もちろん、父に会いたい気持ちはいつもある、でも行かないって決めました。

「助けて!日本へ看護をしに来てくれ!」と父からのメッセージ

次の週、父の容態はかなり悪くなり4人部屋から個室へと移りました。

この個室は最期の時を迎える人が家族とゆっくり過ごせるようにと、個室料金は必要のない善意の塊のお部屋です。

お陰で父とのビデオコールも他の人を気にすることなく出来るようになりました。

父は痰が絡むようになってしまい呼吸が苦しそうな日もありましたが、看護師さんに痰の吸引をしてもらうと比較的楽に話ができるときもありました。

そんなある日、「日本へ来て!遊びじゃないよ、看護をしに来てくれ!」と言われたんです。

そのころ、水分を取ると痰が増えて本人が辛くなるだけだから、何も飲ませないでくださいと看護師さんから言われていたのですが、父は食べたり飲んだりしたかったわけです。

「医者がケチだから何も食べさせてくれないんだ!」「そっかぁ…そうだよね、お父さん食べたいよね~」なんていって話を聞いてあげていたのですが、食べたい気持ちや飲みたい気持ちがあったんです。

母も本人が食べたいのなら食べさせちゃうわ、と言ってプリンや牛乳を飲ませていたみたいです。

私も本人がそういう意思があるのなら、後から身体が辛くなったり、死期が早まることになったとしても意思を尊重してあげたい気持ちだったので良かったと思います。

父はとっても几帳面な人で、朝は牛乳とバナナとパンを1枚とスライスチーズを食べる、という生活を何十年もしていましたし、この場に及んでも「朝は牛乳を飲むんだ」と言っていて、父らしいなと感じました。

☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆

私は花の写真や日常の様子や我が家の猫の写真を父のLINEに写真を送っていたんです。

ずっと父から返事はなかったけれど、ある日とっても大きな綺麗な虹を見たので、その写真を送ったあと、なんと父からLINEでメッセージが来ました。

いつも思っていてくれてる気持が嬉しいね、○○が看護師の資格とったなら嬉しいね、日本に早く来て助けて欲しい 今は苦しいばかり何とかしてよ、○○なら出来る

と書いてありました。(○○は私の名前)

文字を打つのは大変なことだったと思うから、時間をかけて打ってくれたんだと思うし、それほど辛かったのかな…って思ったら胸が痛かったです。(これが父からの最後のLINEメッセージとなりました)

これをみて、また心が揺らぎました。

だけど、この日は2月1日で、夫は2月10日に大切な試験を控えていたんですね、それで仕事の合間に勉強も猛烈にストレス満タンで頑張っていたわけです。

なので、やっぱり行きたいとは言えない…それに、頑張っている夫のそばにいてあげたい気持ちも大きかった。

父も夫も大切な人だから、とても苦しかったです。

父との最期の会話と約束

そのLINEメッセージをもらった2日後にビデオコールをしたとき、

「いつ来るの?」と、父に聞かれ

「うん、行くよ!行くからお父さん待っててね!」

「そうか、ありがとう」

「うん、お父さんもありがとうね!」

これが最後の会話になり次の日から父は昏睡状態になりました。

目を開いたまま口を大きく開け、必死に呼吸を繰り返す日が7日ほど続き父はあの世へ旅立ちました。

いつ来るの?といわれて、行くよ!待っててね!といったのは優しい嘘なわけですが、約束をしたのに私は行かないの???と心が揺らぎました。

夫の大切な試験が終わったらやっぱり父の元へ行こうか、でももう意識はない…だけど生きてるし約束は果たせるし、今行けばお葬式にも立ち会える。

どうしよう、どうしよう、どうしよう…と考えていた、そのとき、あ!とアイデアが降りてきたんです。

それを紙に書き出しました。

父があの世へ旅立つ瞬間、私に降りてきたアイデア

あ!そうか!と閃いたのは、父との約束の時間と場所を変更することでした。

私、本当に本当にお父さんのところへ行きたかった。

閃いたことを紙に書いたけど、空に向かってそれを言いたくなったので散歩に出かけました。

空に向かって大きな声で父に伝えたことは、

「お父さん!聞こえる?あのね、お父さんに伝えたいことがあるから聞いて!お父さんに会いに行くよって言ったでしょ、だけど約束を変更させてほしい!新しい約束は日にちはいつかわからないけど、私もお父さんのところへ必ず行くから向こうで待ってて!向こうで必ずまた会おう!あと、いつもお母さんと仲良くしてよ~って私に言ってたけど、ちゃんと仲良くするから安心して!それと、11月にあった時、頑張ってよ!って言ってたけど、頑張るから!心配しないで!だけど、いままでどおりちゃんと見守っててよね!あとね、お父さん大好きだよ!最高のお父さんだったよ!だからありがとうね!じゃあ、また向こうでいつか会おうね!またね!」

これを伝えたんです。

それまでは、どうしよう…って迷う自分や罪悪感まみれの自分がいたけど、このアイデアがおりてきてス~っと軽くなったんです。

☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆

散歩から帰ってきてLINEをみたら2時18分 父が息を引き取ったとの知らせが弟から来ていました。

その時間は、まさにお空にメッセージを伝えていた時でした。

「ああ…お父さんに伝わったんだ…もしかしてお父さんがこのアイデアくれたのかも」

と、温かい涙が流れました。

最後に

こんなに、お父さん、お父さん、お父さん、って思うのならば、もっと普段から連絡を取ったり大切にすれば良かったじゃない!なんて罪悪感も湧き出ました。

お父さんがもう少し早く「助けに来て!」って言ってくれれば、私が出した答えは違っていて会いにいったのかもなのに!

遅いよお父さん‼(笑)

とも、思いました。

でも、これが運命で、これで良かったんだ。これが最善だったんだ。

その時その時にした自分の選択を尊重しようと思いました。

父が入院したと連絡をもらう前に数か月連絡を絶ったのも、11月に会いに行って素敵な時間を過ごせたことも、最後に行かない選択をしたのも、悩みに悩んで決めたこと。

悩んだり、迷ったり、後悔したり、それらは全て相手に対して温かい思いがあるからこそ。

だから、そんな思いがある私自身を否定することは絶対にしてはいけないこと!と感じました。

私の今までの人生、自分責めが多かったです。

けど、自分を大切にするってどういうことなのか、わかってきて実践が出来るようになったころに父の死があって、お父さん!ナイスタイミングだよ!って思っちゃいました。(笑)

亡くなった時の父の顔、安らかでした。

とっても優しい顔をしていた。

そして、もうお骨になってしまって肉体はないのだけれど、なんかね、信じられないです。

だって、写真でしか見てないし。

ビデオコールしたら出るでしょ!って思っちゃうよ。(笑)

突然涙が溢れたり、突然不安感が襲ってくることがあるけれど、それは当たり前のこと。

それだけお父さんって大きな存在だった、自分の思いを抱きしめます。

けれど、魂はいつでも近くで見守ってくれている。

いつかのLINEメッセージで、父が「目が覚めると今日も生きてる、頑張ろう!って思うよ」と言っていました。

その通り。

笑って自分を大切に、そして周りの人やモノや事柄の1つ1つ大切に生きて行こうと思いました。

お母さんとも仲良くやっていくぞ!(笑)

もし、ここまで読んでくださった方がいらっしゃったら、お付き合いくださりありがとうございました♡

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