なぜ謝らない?ごめんを言わないイタリア人から学んだこと

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なぜ謝らない?イタリア生活ごめんと言わないイタリア人から学んだこと 生活

イタリア生活で何度も感じたこと、それは「謝らない人、多くない?」という違和感。

「え?そこで 普通ゴメンの一言あるよね…」と思う場面で無いものだから、かなりイラっとすることがあります。(めっちゃ些細なことならイタリア人もちゃんと謝ります)

逆にイタリア人からすると変に感じられてしまうのは、日本人って「ありがとう」の代わりに「ゴメンね」って言うことがよくあるじゃないですか?

何かしてもらって「ありがとう」じゃなくて、咄嗟に申し訳ないって意味で「ゴメンね!」って出ちゃうみたいな。

その癖で、ごめんね(scusa)と言ってしまい、「なんでそこで謝るの?」と言われることも。(笑)

そんなこんなで、

今回はイタリア生活で違う文化に接して感じる「ごめんなさい」と謝ることについて思っていることをシェアしていきたいと思います。

そこには文化的な背景と、意外な学びもありました。

とはいえ、

この手の話は、日本人、イタリア人としてしまうと主語が大きすぎるかもしれません。

どちらの国にも色んなタイプの人がいるわけですからね。

なので、あくまでも私が感じていること、として読んで見てくださいね!

この記事を書いた人
モカちーの

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謝らないイタリア人にイラっとしたりビックリした体験談

まずはイタリア生活の中で、謝らないイタリア人にイラっとした体験をいくつか並べてみます。

約束に遅刻してきた友達

イタリア人の方が約束に遅れてくる人が多いと感じます。

それも、10分15分の遅れちゃなくて、1時間とかザラ…(笑)

今の時代、スマホがあるんだから遅れそうなら連絡入れてよ!って思うけれど入れないし、到着した時に一言もゴメンが無いのでモヤモヤします。

スーパーの店員さん

スーパーのレジがシステム障害で清算が出来ない時が良くあります。

そんなとき、日本だったら「誠に申し訳ございません」的に謝るかなって、思うんです。

でも、イタリアだと「システムのせいで私のせいじゃないから」ということで謝ることはありません。

レジの計算が間違っていたりしても謝らない人が多いのでイラっとします。

スーパーの店員さんのアルアルについては別記事もどうぞ。

イタリアのスーパーのレジの店員にありがちな事

宅配便の配達の人

イタリアの宅配便など、配送はかなりボロボロなって届くことがあります。

まあ、これもその配達員さんの元に届いた時は既にボロボロだったのかもしれないし、その人のせいではないかもしれませんが、配送を担ってる会社なんだからボロボロだったらちょっと「ごめんねェ」って言ってっよ!って感じちゃいませんか?

けど、もちろん謝りません。

「ボロボロだねェ、けど知らんがな…」という感じでさわやかに配達してくれます。(笑)

ちなみに配達の人は咥えたばこしてたり、スマホで誰かと話しながら片手で渡してきたり、日本だったらありえないでしょ、と可笑しくなる感じにラフです。

でも、フレンドリーでいい人ばかりです。

家具屋のお兄ちゃん

一度、組み立て式の家具を買ったとき、駐車場の車まで店員のお兄さんが運んでくれたことがありました。

その時に、その家具の入った段ボールを私の足に倒されて「痛い!」っとなったんですが、ナント謝らなくてビックリ。

その時はイラっとして咄嗟に「ゴメンナサイは?(怒)」って言ってしまいました。(怖い日本人 笑)

携帯会社の窓口のお姉さん

家のwifiが買った時に言われたことと違い、不具合があったので窓口にクレームをしに行った時のこと。

その時の窓口のお姉さんが強烈で、「そんなこと言っていない」「私のせいじゃない」「私は知らない」の一点張り。

携帯会社の人として、まずは一言謝ってよ…日本だったらありえんな…とイライラ。

郵便局のおにいちゃん

郵便局で小包のラベル用紙の書き方が分からなくて、郵便局のお兄さんに聞きながら書いたことがありました。

けど、3週間ぐらいして、その小包が記載事項不十分で家に戻ってきたんです。

私が帰ったあと間違えて伝えていたことが発覚したらしく、ナントその部分を、そのお兄さんが想像して書き足したんです。

でも、それでも記載事項不十分で間違っていて戻ってきた…という要は偽造していた!みたいな話なんですが、それが発覚した時も謝りの言葉はありませんでした。(笑)

まあ、良い方に解釈すれば、代わりに書いておいてあげよう!と思ったのかもしれませんが、でも結果小包は戻ってきてしまったわけで、良くない結果に終わったのだから、謝ってよ~…と思いましたが全く謝罪なし。(笑)

別件ですが、私が郵便局のお姉さんとケンカした話とイタリアの郵便局から小包を送る方法は別記事をどうぞ。

イタリアの郵便局から日本へ小包を送る方法5種類を解説

怒りを素直に表すイタリア人 私が郵便局で大喧嘩した話

役所の担当者

イタリアは色んな場所で人によって言う事が違うので注意が必要ですが、役所の人も結構な確率で間違っていることが多いので注意が必要です。

何かの申請のとき、人によって必要書類の説明がバラバラ。

間違えが発覚しても、もちろん謝りません。

というか、人だけでなくホームページの記載まで間違っている時があるので、何を信じたらいいのか分かりません。(笑)

ちょっと、話がずれますが、かなりいい加減に色々と通過しちゃってること多いと思います。(まあ、いい加減は良い加減…臨機応変力が高いってことで 笑)

例えば、滞在許可書みたいな大切な書類でも、全然みんないうことが違うし、「え?いいの?」ってまま良しにされたことが色々あるので、まあ、良いのか悪いのか…って感じです。

カスタマーサービスのお姉さん

イタリアのカスタマーサービスは、日本の丁寧さになれていると、かなりビックリな対応かもしれません。

クレームに対して、まず謝らない。

コチラがまだ状況説明で話しているのに、かぶせて話してくるから一回話ちゃんと聞いてよ!ってまずそこでイライラします。

私は電話で言い合いできるほどのイタリア語力がありませんが、夫は良く言い合いになってますね。笑

迷惑被っているからカスタマーサービスに電話かけてるんだから、とりあえず謝ろうか…って思っちゃう。

夫・・・笑

夫に対しては「なんでゴメンって言わないの!」って体験が沢山ありすぎて書ききれませんが(笑)

今、書いてて思い出したのは、私が日本から持って来た大切なお皿を落として割っちゃったんです。

わざとではないし、食べ終わってシンクに運んでくれようとしてて落としちゃったんですね。

だけど、「ええええ‥‥これ日本から持って来たヤツ…」って悲しんでいたら、逆切れされて一言もゴメンって言ってくれなかったんです。

ってか!それが2回あったんです。

イタリアで買ったお皿ならいいけど、なんで日本から持って来たヤツばかり割る???(怒)

もちろん、仕方のないことだけど、一言咄嗟にゴメンって言葉が出ないで、自分の正当性(言い訳)をはじめたので結構イライラしました。

一言ゴメンね、って言ってくれたら仕方が無いよ…で許すのに。

謝らないから、まだ根に持ってます。(笑)

☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~

そんなこんなで、謝らないイタリア人と接しているうちに、「謝らない理由って4つあるかな…」と感じました。

それについて思うことを次に書いていきますね。

イタリア人が謝らない理由として感じること4つ

冒頭にも書きましたが、世の中色んなタイプの人がいるわけで、「イタリア人」とすると主語が大きいかもしれませんし、日本人にも言えること思います。

けど、文化的な背景を交えるとイタリア人が謝らないのはこの傾向があるかな…と思うことを書いていきますね。

謝る時の表現の違いから感じるズレ

イタリア語でゴメンナサイ的に良く使われる表現は2つあります。

まとめると以下の感じです⇩

表現直訳日本語的な感覚使われ方
Scusa / Scusiごめんね / すみません自分の非を認めて謝る軽いミスや迷惑をかけたとき
Mi dispiace残念に思う / 気の毒に思う申し訳ないけど、ちょっと他人事相手の状況に対して共感する時

「謝ってほしい!」と感じている場面で「Mi dispiace」と言われると、 「え、なんか他人事みたいじゃん…」って感じてしまうんです。

そこに日本人との感覚のズレがあると感じます。

だから、上で書いた体験談で「Mi dispiace」と、言われるときもあります。

それって多分、「あなたに不快な思いをさせたのは残念だけど、私のせいじゃないし…」って思ってるかもしれなくて。

なので、それだけで済まされると、「え、謝ってないじゃん!」って感じちゃうんですよね…。

これは言葉による感覚の違いもあるけど、次のイタリア人は「自分が間違ってる時にしか謝らない」関係していると思います。

自分が間違っている時しか謝らない

日本人は何かあった時、とりあえす「嫌な思いをさせたなら申し訳なかったね、ゴメンね」という感じで謝る場合が多いと感じます。

自分が正しいとか、相手が正しいとかは関係なく、とりあえず嫌な気持ちになる場を作った事に対して謝っておく、みたいな。

だから、ゴメンね、と言われれば「お互い様だから!こちらもゴメンね」っという感じになる場合もありますよね。

けど、それって、とりあえず丸く収めただけであって、本質的にはモンモンと不快感が残る場合もありますよね。(笑)

だから、何気に根に持ってて、何か他で関係性が悪くなった時に前のことがでてきちゃったり…ということもあるかもしれません。

対してイタリア人は、もっとカラっとしてる気がします。

何かで意見が対立した時、聞いててヒヤヒヤする感じで言い合いますが、自分が間違ったことをしたと思わない限り謝らない傾向が強いと感じます。

私は夫と喧嘩になった時、「とりあえず、嫌な気持ちにさせたなら、そのことは謝るよ、ゴメンね」っていうんですが、夫は変なのって顔してます。

イタリア人的には相手が嫌な思いをした、しないは自分には関係のないこと、と捉えてる人が多いのかも。

まあ、アドラー心理学でいうところの「課題の分離」ってやつですよね。(笑)

嫌われる勇気をまだ読んだことが無い方は、幸せになる勇気と合わせて読んで見てください。

これって、本当はそのほうがいいのかも?って最近は思います。

なので、例えば上の章のイラっとした体験談でスーパーの人や配達のひとなどが謝らないのも、システムが悪い訳で、それは自分の責任ではない=謝らない、という事になります。

あと、欧米諸国では「謝罪=罪の告白」と捉えられ、歴史的にそれが命取りになる場面もあったから、謝罪に慎重な文化が根付いたというような説も聞きます。そーいう文化的背景もあるのかもですね。

悪いと感じるハードルの高さの違い

日本人とイタリア人で同じしてしまった物事に対して、悪いと感じるハードルの高さが違うな…とも感じます。

たとえば、約束に遅刻した友人の話でいうと、遅れるのは当たり前にあること、だから別に悪い事ではない=あやまらない、みたいな感じです。

迷惑をかけた、嫌な思いをさせたかも、っていうハードルの高さが違うとゴメンと感じる感覚が違うかなと思うんです。

日本人は繊細で、細やかで、人の気持ちを良く考える分、悪いことをしたかも?ってハードルが高い気がします。

それをもっと詳しく言うと、次の「相手に対する信頼感の違い」に繋がるのかな、と感じています。

そんなことで不快に思わないよね?という相手に対する信頼感の違い

謝るっていうのは「自分が悪いことをした」と認める行為であって、同時に相手に対して「あなたは私を悪く思ってるでしょ!」と感じているからだよって思うんです。

それと、謝って欲しいと感じているときって、相手に対してして「あなたは悪いことをした人だ、と意味づけている」ってことでもありますよね。

ちょっと言語化が悪くて意味わからなかったらスミマセン…笑

だからこそ、謝らないという選択には、実は別の意味があるんじゃないかと思うようになったんです。

たとえば、親しい友達同士でちょっとしたミスがあったときに、 「ごめんね!」って言わなくても、相手が怒らないのはお互いに信頼があるからこそ。

「この人はわざとじゃないし、悪意もない」ってわかってるから謝罪を求めないし、謝られなかったとしても気にならない…みたいな。

それと同じで、イタリア人の「謝らない文化」も 「あなたに敵意はないよ」「わざとじゃないよ」っていう無言の信頼があるからこそなのかなって、見てて感じるんです。

謝らない=無礼」じゃなくて、「謝らない=信頼してるからこそ」という見方もあるなって。

けど、これとは逆もあるかな…と思うのが次の「悪いと思ってしまった度合いが高すぎると謝れない」です。

悪いと思ってしまった度合いが高すぎると謝れない

イタリア人がゴメンと謝らない、ということで書いてきましたが、実のところ、小さな些細なことなら「ごめんね~」と懐っこい笑顔で謝ってきます。

けど、やってしまったことに罪悪感が強ければ強いほど、「ゴメンナサイ」が言えないことってありませんか?

もう、許されないかも…って思うと怖くなって、とても謝罪を伝えられない…みたいな。

私は子供の頃、とくにそういうことが多かったかも。

悪いことをして親にゴメンナサイと素直に言えなかった=もう許されないかも、という大きな不安がある

そんな感じです。

上でご紹介した体験談で、私が日本から持って来たお皿を夫が割ってしまったとき、夫は罪悪感が強すぎて謝れなかったのかな…っと後から感じました。

というのも、似たようなことで、些細なことならゴメン!って謝ってくるんです。

でも、そのお皿は思い入れがあってイタリアでも使いたい、大切に運んできたことを彼は知っていたから、私がめちゃくちゃ悲しんでる顔を見て、申し訳ない気持ちが多かったと思います。(しらんけど )

優しい夫だからこそ、謝れなくなってしまい、正当防衛に走ったのかも…とあとから思いました。(しらんけど)

謝るのって、ことが重大であればあるほど難しくなりますよね。

それこそ、さっきの欧米諸国の歴史的背景から来る「謝罪=罪の告白=命取り」のような。

だから寛大でいたいな、って思ったりもします。(心の余裕があるときだけ思える…笑)

イタリアのほうが日本より優しい世界なのかも?

コロナ騒動があったあと4年ぶりに日本に帰国した時に、感じたのが「イタリアのほうが日本より優しい世界なのかも?」と感じました。

例えば、スーパーに行ったときに店員さんが皆さんニコニコしていて親切で最高のおもてなし♡という感じだったんです。

やっぱり日本は素晴らしいなぁ、と思った半面、息苦しさも感じました。

なんていうのかな、先ほどのハードルの話の部分です。

高いレベルを皆が保っているから、そのレベルで無ければならない…みたいな息苦しさを久しぶりの日本で感じたんです。

イタリアのほうが社会のまわり方がキチキチしていないです。

だから、色んな事が遅いし、期日に間に合わないことは頻繁にあるし、電車も時間通りにこないことも頻繁です。

店員さんも特にニコニコはしていません。その時の自分のありのままで接客してる感じ。

けど、それで許される。

これはモノの見方によるから、どっちが良いとか悪いとかは言えないです。

けど、いい加減なほうが楽でいいかな…と思うのは私がイタリア生活になれたからなのかもしれません。

イタリア語 ありがとうへの返し方10種イタリア人が良く使う言い回し

まとめ

謝ることが当たり前な日本と、謝らないことが普通なイタリア。

というか、私達日本人は自分の責任でないことにも謝りすぎるのかも…。

人は自分が正しいと思っていたり我慢していることをしている人を目の前にすると、イライラしますよね。

だから、自分がすぐに謝るタイプな場合、謝らない人がいると怒りが沸き起こるものです。

もう、日本人として無意識レベルで根付いてる価値観だから難しいかもだけど、その辺のハードルを下げて気楽にいきたいものですね。

あと、「ありがとう」と言う場面で「ゴメンね」と使わない、「ありがとう♡」で伝えた方が気持ちがいいし、そのへんも含めイタリア人の在り方は見習いたい部分が沢山あります。

物事は自分が見る角度によって解釈が180度変わってきます。

ポジティブシンキングはしないケド、(ポジティブシンキングはポジティブに考えようとする時点で、それはネガティブからきてるわけだから)「自分の中の正しさ」より「違い」を面白がれるようで在りたいなぁと思っています。

まあ、心の中で「今のさーScusaって言ってくれてもいいんだけどな〜」と、つぶやきながら、イタリア生活を楽しんでいきますか(笑)

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